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オスマンとコルベールは、『遠見の鏡』で一部始終を見終えると、互いに沈黙した。 気まずい空気の中、コルベールが震えながら何かを言おうとする前に、オスマンが言った。 「勝ったのは、ミス・ヴァリエールの使い魔じゃったな」 「オ、オールド・オスマン……私には、まだ自分の目が信じられません…」 「ほぅ。ならば、そんな役立たずな目は、早めに抉ってしもうた方がよいのぅ。ミスタ・コルベール」 「い、いえ…そんな…!私はただ、平民がメイジに勝ったという事実に…」 「平民?平民じゃと?お主はアレをまだ人間じゃと思うとるわけか?」 オスマンの目が、コルベールを射抜いた。 「切られた腕を再生させ、青銅のゴーレムを砕き、挙げ句グラモンの血を吸うたアレを、人間と呼ぶか。 お主も痛い目を見た口じゃろうに。 ますますもって役立たずじゃのう、お主の目は」 コルベールは萎縮した。 オスマンは、フンと鼻息を荒げた。 「しかしのぅ、あの化け物の左手のルーン…。 ワシも長年を生きてきたが、とんと見当がつかぬ物じゃったわ。 ミスタ・コルベール。お主も見たな?早々に調べておくのじゃ」 ---まさか、ルーンまで見過ごしておったのではなかろうな、と言うオスマンに、コルベールは慌てて首を横に振った。 これ以上失態をさらせば、本当に目を抉られてしまうと、コルベールは思った。 「し、調べて参ります…!」 コルベールは早急に学院長室から退室した。 オールドオスマンは、そんな彼を見送りもせずに、秘書のミス・ロングビルを見た。 オスマンとコルベールのやり取りを、見ない振りをして書類仕事をしていたロングビルは肩を一瞬 震わせた。 「ミス・ロングビル」 「…はい、学院長」 努めて普通にロングビルは答えたつもりだが、その内心はオスマンには筒抜けだろう。 「お主もみたじゃろう。さっきの戦いを。 ……ワシの目には、奴が瞬間移動をしたようにしか、思んのじゃが…意見を聞かせてもらえるかのぅ、ミス・ロングビル」ロングビルは、ペンを机の上に置くと、オスマンに答えた。 「いいえ…オールド・オスマン。私にも判りかねます。ただ、瞬間移動したとしか」 「…そうか。あいや、ただ聞いてみたかっただけじゃ。気にすることはない」 オールド・オスマンは、机からパイプを取り出して、火をつけた。 2・3回プカと煙を口から吹いた後、オスマンは言葉を続けた。 「ミスタ・コルベールの手伝いをせい、ミス・ロングビル。 あの足では書物の捜索は難儀じゃろう。 それと……」 ロングビルは椅子を引いて立ち上がり、オスマン の次の言葉を待った。 「……あの化け物に、内々に目を配っておけ」 ロングビルは頷いて、学院長室から出ていった。 コルベールと書物を漁るのは退屈だが、学院内を歩き回る良い口実を得たので、ロングビルは満足した。 全くエラいところに潜り込んでしまったものだと、しかし、ロングビルはため息をつくのを止められなかった。 オールド・オスマンは、誰もいない学院長室内で、一人立ち上がって『遠見の鏡』を再び見た。 鏡には、見知らぬルーンの刻まれた左手を血に染めたDIOが、悠々と広場を立ち去るところが映されていた。 オスマンはその様子を見て、鷹のような目を、ますます鋭くさせた。 「DIO………DIOか。このトリステイン魔法学院の内憂とならねばよいがのぅ……そうなった場合、もみ消すのも一苦労じゃ」 ---その時だった。 鏡の中で、背中を見せて歩いていたDIOが、突如素早く振り返り、こちらを睨んできたのだ。 DIOの真紅の目が、オスマンをしっかりと捉えている……少なくともオスマンはそう感じた。 流石のオスマンも、この時ばかりは心臓が止まるかと思った。 『遠見の鏡』が気づかれるなんて、有り得ないことだった。 あまつさえ自分と目が合うとは---だがオスマンはこの後、心底驚愕した。 鏡の中のDIOは半身になって、血に染まる左手で顔を隠し、右手で此方を指差した。 『………貴様、『見て』いるな……!?』 DIOの言葉にオスマンの思考が反応する前に、鏡に巨大な人影がいっぱいに映し出された。 人と言うには余りにも巨大なそれは、その巨体に見合う…いや、過剰な筋肉を有していた。 腕は丸太のように太く、脚はそれよりもっと太いそれは、全身が白いせいか、石でできたような印象を受ける。 鏡に突如映し出されたその巨人は、右腕を振りかぶると、その大砲の弾のような拳を轟と振り下ろした。 "ガシャアァアアン!!!"という高い音を響かせて、『遠見の鏡』は、粉々に砕け散った。 破片がオスマンに襲いかかり、オスマンは慌ててローブで己の身をかばった。 全く予想外のことで、杖を振る暇もない。 机の下で眠っていた、オスマンの使い魔であるネズミのモートソグニルが、チュウチュウと鳴いた。 破片が飛び散り終わると、オスマンは恐る恐るローブから顔を出した。 見るも無惨な姿を晒す『遠見の鏡』を見て、オールド・オスマンはうろたえた。 「…おぉ……これは…なんとしたこと…」 オスマンは、あの化け物が、自分の思っていた以上にとんでもない存在であることを痛感し、ただ呆然と、割れた鏡を見つめた。 鏡の修復には、かなりの時間が必要になりそうだった。 その費用を瞬時に頭の中で目算し、オールド・オスマンはただただ頭を抱えるばかりだった。 to be continued …… 27へ
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前ページ次ページS.H.I.Tな使い魔 康一は、一本の道を歩いていた。 隣では仗助くんと億泰くんがいて、一緒に馬鹿話をしている。 道の左手からは、露伴先生が現れて、一緒に取材に行こうとぼくを誘う。 康一どのー!という声が聴こえた。右手から玉美と間田さんが合流する。 やれやれだぜ・・・。という声が聴こえた。後ろでは承太郎さんがぼくたちを見守ってくれている。 由花子さんが道端に立ってぼくを待っていた。並んで歩く。 仲間達と共に歩く。 こうして歩いていれば、ひょっとしたら雨が降るかもしれない。小石に躓いて転んでしまうかも。 でもぼくには仲間がいる。寂しくなんかない。 この道は、杜王町へと続いている。 えーんえーん・・・ 康一はふとあたりを見回した。 子どもの泣き声が聴こえる気がするのだ。 康一は道をはずれ、その声の主を探しにいくことにした。 声を追い、藪を分け入って進むと、小さな池が現れた。 池の真ん中には小船が浮いていて、鳴き声はそこから聞こえてくるようだ。 子どもが池に一人取り残されて泣いているんだ。と康一は思った。 康一は池の中に踏み込んだ。そこまで深くはない。腰ほどの高さだ。 じゃぶじゃぶと水をかき分けて進む。 船にたどりつくと、ピンクブロンドの髪の女の子が毛布にくるまっていた。 女の子は小船の中で、独りぼっちで泣いていたのだ。 「もう大丈夫だからね。」 康一はその女の子を抱き上げた・・・。 康一は目を開いた。 知らない天井?いや、馴染みこそないが、ぼくはこの部屋を知っている。 コンコン、とノックがあり、扉が開いた。 目を向けると、黒髪でメイド姿の少女が現れた。 「コーイチさん。目が覚めたんですね!」 「し、シエスタ!?」 シエスタは胸に手をあて、大きく息を吐いた。 「よかった・・・。心配したんですよ・・・。あんなに大怪我して・・・!」 康一はようやく、自分が何をしていたかを思い出した。 「そっか・・・。ぼく、気を失っちゃってたんだ・・・」 「はい。三日三晩ずっと眠り続けてました。」 「そんなに!?」 徹夜でゲームをしてしまった翌日だって、そんなに眠ったことはない。 「頭を強く打ってましたから、そのまま起きないんじゃないかって心配しました・・・。」 康一はワルキューレに散々殴られたり蹴られたりした時のことを思い出した。 「他にも、両腕にはヒビが入ってましたし、歯も折れてました。肋骨は3本ほど折れて、一本は肺に突き刺さっていたそうです。」 「う、うわぁ。重症じゃないか・・・。」 康一は他人事のように答えた。自分の体を触ってみる。 「でも・・・あれ?その割には痛くないんだけど・・・。」 脇腹を触ってもうずく程度でそんなに痛くはない。腕にもあまり違和感はない。舌で口の中を確認したが、折れたはずの歯が元に戻っていた。 「ええ。コーイチさんをここに運び込んだミス・ヴァリエールが、先生に頼んで、水魔法の治療を施してくださったんです。」 シエスタは窓を開けた。 窓から日の光が差し込んできて、康一は目を細めた。 そして気づいた。 自分のベッドのうえにルイズが頭を乗せて眠っている。 ピンクブロンドの髪が太陽の光を反射してきらきらと光っている。 「ミス・ヴァリエールはこの三日間、ずっと学校にもいかず、ほとんど寝ないでコーイチさんの看病をしていたんですよ?」 「そうなの!?」 康一はルイズの寝顔を見つめた。 この我が侭娘が、そんなにぼくのことを心配してくれたのか・・・! 康一はルイズの頭を撫でた。 ルイズは、う~ん・・・とムズがっていたが、不意に目を開けると、がばっと起き上がった。 自分の頭に手を当てて顔を赤くする。 「ななな何してんのよ!!」 「いや、寝顔が可愛かったから・・・つい。ずっと看病してくれてたんだって?」 ルイズの顔が、ボッっと音を立てて真っ赤になった。 「ば、馬鹿じゃないの!犬のくせに・・・!自分の使い魔が怪我したら、面倒を見るのは当然でしょ!!」 そしてはっとした表情になった。 「そういえば、体は大丈夫なわけ・・・?」 心配そうに尋ねる。 「うん。もうなんともないよ!」と腕を振り上げて見せた。 実はその瞬間、脇腹にビキッっとした痛みが走ったが、辛うじて表情には出さずにすんだ。 「そう・・・よかったわ・・・。」 ルイズはほっと胸をなでおろした。 「あんまり無茶するんじゃないわよ。あんた、下手したら死んでたのよ?」 「ごめん・・・。」 康一は頭をかいた。 ルイズはそんな康一に一つ溜息をつくと、立ち上がる。 「じゃあ、どいて。」 「え?」 「わたし、あんたが寝てる間ほっとんど寝てないの。眠いの。」 「え、ご・・・ごめ・・・」 「だからほら!ベッドを空けなさいよ!」 ルイズは康一をベッドから引き摺り出すと、そこにするりと飛び込んだ。 毛布にもぞもぞと猫のように包まる。 そしてそのまま寝息を立て始めた。 「追い出されちゃったよ・・・。」 苦笑いするとシエスタと目があった。 ふふふっと笑いあう。 「それじゃあ、ちょっと厨房にいらっしゃいませんか?お腹が減ってるんじゃないかと思うんですけど。」 「そういわれると・・・」 代わりに康一のお腹がグルグルキューと返事をした。 「・・・減ってるみたい。」 「よかったぁ。」 シエスタは嬉しそうに手を合わせた。 「マルトーさんに、コーイチさんの目が覚めたら連れてくるようにって言われてたんです。」 シエスタは康一に、あの学生服を手渡した。 「寝ておられる間に、洗って修繕しておきましたから。」 康一にとっては、こちらで持っている唯一の服である。 「ありがとう!助かったよ!」 康一は、寝ている間に着せられていたのであろう、パジャマのような服を脱ぐと、いつもの学生服に着替えた。 そしてシエスタについて、厨房へと向かうことにした。 前ページ次ページS.H.I.Tな使い魔
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タルブ村の中央に位置する、丸い広場。 その石段でできた広場に設置された噴水。 流水が涼しげに波紋を作っている。 その光景を最もよく見えるように、大きくテラスを張りだたせた建物。 その建物は、入り口が南側。壁は、白い漆喰。 「ここみたいね」 キュルケが、午後の太陽の光を背中に浴びながらいった。 彼女たちの目的地は、ここ、『魅惑の妖精亭・本店』である。 タルブ村は平凡な田舎村でありながら、実は、特異な郷土料理で有名な村であった。 その郷土料理の名声は、遠くゲルマニアの地にまで聞き及ぶ。 物好きな豪商や貴族たちは、この魅惑のリストランテまで足を運んで、己の舌に鼓 を打つのだった。 このリストランテは、貴族や豪商にも利用できるように清潔に整備されている。 店内には、席が百席ほど用意されているだろうか? ルイズはそう見て取った。 「ついたわよ、ダーリン」 キュルケのその言葉にも、ブチャラティは気づかない。 なにか書かれている紙を手に持ち、それを一心に見つめている。 ブチャラティが、タバサの竜に乗っている間中、ずっとだんまりを決めていたのも このためだ。 彼は、道中、ずっとこの店のメニューを見ていたのだ。 「う~ん……やはりマルガリータは当然頼むとして…… ボルチーニ茸をのせてもらうか……」 「あの……ブチャラティさん……?」 さすがのギーシュも、ブチャラティの異様な態度に気がついたようだ。 「イカスミが無いのが残念だが……」 ルイズは、大きく息を吸い込んだ。 一瞬の間のあと、広場を少女の大声が支配した。 「ブチャラティ!!!」 「なんだ? ルイズ、そんなに大声を出して?」 「着いたわよ、『ピッツァ』が食べられる店」 「おおっ! そうか!」 ブチャラティはそういい残すと、やっと顔をあげた。 「ずいぶんと、人が並んでいるな」 そういった口は、不満の色を隠せない。 彼の言うとおり、『魅惑の妖精亭』の前にあつらえてある、待合椅子には、三十人 ほどの、いかにも身なりの良い人たちが並んで座っている。 おそらくは、メイジの客なのだろう。 「こんなに混んでるんだったら、相当待ちそうだな」 ギーシュは自分のおなかをさすりながら言った。 今の時刻は、とうにお昼時を過ぎている。 今頃トリステイン学院では、食事も終わり、食後の紅茶が配られている頃だろう。 この時間になっても、貴族たちですら並んでいるという事実は、ブチャラティに希 望を抱かせた。 だが、同時に、ルイズたちも、結構な時間を待ち時間に浪費する、という真実を示 してもいた。 「どのくらい待つだろうかな?」 多少は冷静さを取り戻したブチャラティは、誰ともなしに発言してみた。 彼は、まともな返答が返ってくる事は期待していない。 だが、それにもかかわらず、彼の原始的な欲求は、心の中でやくたいもない不平を 量産していくのであった。 くそっ。 これがもし故郷のネアポリスであったならば。 あの、なじみのポモドーロおばさんの店だったのであれば。 自分の不登校な息子のことで愚痴を言いながらも、俺に優先してピッツァを包んで くれるのに。 だが、ここは異世界。 ブチャラティ以外に、生粋のイタリア人はいない。 その代わりに、彼らに声をかけるものがいた。 「お~い」 ルイズは、その声が店内からかけられたことまではわかったが、正確な位置はわか らない。それほどまでに、この店は混んでいたのだ。 「あそこ」 タバサが人差し指を店内の一点に向ける。 ルイズは見つけた。 タバサが指さす、店の奥に設置された大き目の丸テーブルを。 それをたった三人で占拠していた。 そのうちの一人が、彼女らに声をかけた張本人。 岸辺露伴だ。 「うまい! 最高だ。ネアポリス特有の厚めの生地。それを、外側はかりっと、内 側はややふんわり焼いてある。 しかも、このマルガリータピッツァにのったモッツァレラチーズは、フレッシュ タイプの水牛のものだな。臭みがまったく無い」 ブチャラティが露伴の隣に座り、熱々のそれを口に運ぶ。 とろけたチーズと、トマトが舌の上で絶妙に絡みつく。そこに、ルッコラの葉がア クセントを加える。この店の自慢の一品である。 「ええ、ブチャラティさん。このチーズを作るお牛さんは、おじいちゃんがわざわ ざ東方の地から探してつれてきたそうですよ」 シエスタは、ブチャラティのコップに赤レモンのジュースを注ぎながら答えた。 「すごいな、君のおじいさんは。こんな地で、本場のイタリア料理が食えるとは思 いもしなかったよ。このパッケリのパスタと、トマトソースは実によく合う! なんというか、どこかのバカとプッツンの組み合わせだ。いい意味でな」 露伴はレモンジュースを飲みながら言った。彼が今、食べているパスタはアツアツ のボロネーゼだ。 タルブ村に降り注ぐ、真っ赤な太陽をたくさん浴びて育ったレモンの酸は、露伴の 舌にいまだ残る、モッツァレラチーズの後味と混ざり合わさり、さわやかな快感を 露伴の脳に感じさせた。 「いえ、私のお爺ちゃんは、故郷を探しにいった帰りに見つけたらしく『ついでだ』 といってました。ただ、この赤いお野菜のほうは、わざわざ探したみたいです。 『世界中を探して回った』といってたそうです」 「そうすると、君は曽祖父も、祖父もハルケギニアの人間じゃないのか?」 「はい。ええと、『タケオ』曾おじいちゃんは、お母さんのおじいちゃんですね」 ブチャラティとシエスタ、岸辺露伴が、このように魅惑の妖精店内で舌鼓をうってい たころ。 ルイズたち、トリステイン学院の学生たちはその恩恵を受けられずにいた。 なぜなら、彼女たちは、コルベールの前で、小さくなっていたからだ。 「ミス・タバサ。私は言ったハズです。学生に、長期休暇は与えられないと」 「……」 タバサは上目遣いに、その人物を見やった。 コルベールではなく、彼の奥に座っている露伴を。 「余所見をしないでください!!!」 「……はい」 「特に、あなたは御家の事情とかいうもので、何かと休みがちなのです。いくら成績 がいいとはいえ、あまり感心できません」 ルイズたちは椅子に座って、コルベールの頭越しに、ブチャラティたちの宴を見せ付 けられているところである。 「コルベール先生。タバサも反省していることですし、その位になされては?」 タバサとは反対に、キュルケは、明るい感じでコルベールの顔を直視した。 コルベールの額が日光で輝いている。その反射光は、キュルケの谷間を照らしていた。 「ミス・ツェルプストー。これは、あなたたち学生には共通して言えることですぞ!」 「フフフ、すみません。でも、来てしまったのはしかたがありませんわ」 「むむむ……そういわれては……」 危うく、キュルケの誘惑に陥落しそうなコルベールであったが、彼の脆弱な男心に、 意外な助っ人が表れた。彼の前で恐縮しきっている男子生徒、ギーシュである。 「コルベール先生。まあ、今回はブチャラティさんが『この店に行きたい』といって のことです。あまり長居はしませんってば」 この言葉に、コルベールは教職としての本分を何とか思い出した。 「それならば、なぜあなたたちがついてくるのです? 彼はミス・ヴァリエールの使 い魔であって、君達の使い魔ではありませんぞ? 特にミスタ・グラモン。 君は、私の『基礎地歴学』の単位を落としているではないですか。追試は来週です。 ここに来るほど、君は試験の成績に自信があるのですか?」 「う゛……」 「それにですな。ミスタ・ブチャラティは、使い魔であっても中身は立派な成人男子 です。ミス・ヴァリエール、君がこのタルブ村まで付き添う必要はないではありま せんか」 「いえ……でも、自分の使い魔の管理はちゃんとしないと……」 「はっきり言って、日ごろの生活態度から見るに、ミス・ヴァリエール。あなたこそ がミスタ・ブチャラティに監督される立場ではないですかな?」 「……はい、そうです……」 コルベールの説教癖のせいで、ルイズたちは、日が落ちるまで彼の御言葉を拝聴しな くてはならなかった。 そのおかげで、ルイズたちは一泊だけ、タルブ村の、シエスタの実家に泊まることを 許可された。 コルベールが、学生たちに夜半の、危険な旅をさせることに反対したからである。 だが、ルイズたちは、学院を抜け出した罰として、昼食にありつける事はなかった。 俗に言う、『おあずけ』というやつである。 To Be Continued...
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すっかり九州新幹線の列車として定着した「つばめ」。 だが過去は国鉄の看板列車として本州を駆け抜けていたことがあった。 今回はそんなつばめの生い立ちを語ってみようと思う。 アクロバティック超特急”燕” 1929年、東京~下関間に1日2往復走ってた特別急行列車に公募により愛称が付けられることになり、結果得票数1位の「富士」と3位「櫻」が採用され、2位の「燕」はその後新設される特急列車まで温存されたのは第二回でも少しふれた。 そして翌年1930年、晴れて特急「燕」は東京~神戸でデビューする。 ▲最初の牽引機は東京~名古屋は主にC51、名古屋~神戸はC53が担当していた。 燕の恐ろしさはその速さにあった。 特急「富士」「櫻」は東京~大阪を10時間50分ほどで結んでいた。 これに対して、燕は同区間をなんと2時間30分早い8時間20分で結んでいたのである。 ちなみに東京~神戸の全区間の所要時間は9時間である。 この驚異的な早さから、人々は燕を「超特急」と呼んだが、その実現のために当時の鉄道省は相当な無茶をしていた。 東京~国府津は電化されていたため、通常ならば東京から国府津までは電気機関車、国府津からは蒸気機関車によって客車をけん引していたが、国府津での機関車交換の時間を惜しみ、東京から蒸気機関車の牽引とした。 途中の停車駅は絞りに絞って、下りは横浜・国府津・名古屋・大垣・京都・大阪・三ノ宮、上りは上りは三ノ宮・大阪・京都・名古屋・沼津・横浜のみであった。 特に国府津・沼津~名古屋は運転停車なしの完全なノンストップ。 蒸気機関車は水を大量に消費するため定期的に給水目的での停車が必要だったが、燕では機関車と客車の間に水槽車を連結し、走行中の給水を可能にした。 また乗務員の交代要員をあらかじめ前の方の席に待機乗車させ、走行中に交代を行うということもやっていた。 機関車と客車には今述べた通り水槽車があるので、交代する乗務員は水槽車の外に設けられた小さな歩み板をつたって移動するという危険極まりないことをしていた。 さらに肝心なのが下りの国府津・大垣、上りの沼津停車である。 この時の東海道本線の国府津~沼津の区間は今の 御殿場線を経由していた。 この区間は急こう配が続く難所。大垣~関ヶ原の下り線も同様に急な上りこう配があった。 そのため下りは国府津・大垣で、上りは沼津で補助機関車を連結するのだが、連結に要する時間はたったの30秒だった。 さらにとんでもないのが坂を登りきった後。 国府津・沼津からの補助機関車は御殿場駅で、大垣からの補助機関車は柏原駅で走行中に補助機関車を切り離していた。 これらのような荒技とも言える数々のありえない行いによってこの大幅な時間短縮が実現、燕は一躍人気列車となった。 ▲静岡停車になってからは東京~名古屋でもC53が使用されるようになった。最後尾には1等展望車が連結されている ただし、1934年に丹那トンネルが開通したことにより東海道本線は今の熱海経由のルートに切り替わった。 これによって国府津・沼津での補助機関車の連結がなくなり、さらに所要時間に余裕が出ることから静岡に給水目的の停車をすることで水槽車の連結も取りやめになった。 ▲C53にはこんな流線型の車両も。当時の流行のスタイルだ。 花形特急として君臨した戦後 戦争が激化してくると特急列車は廃止され、戦後もしばらく特急列車が運転されない日々が続いた。 そんな中、1949年に東京~大阪を結ぶ待望の特急列車が登場。 その名も「へいわ」という、文字通り平和を願ってつけられた名前だった。 ▲戦後の非電化区間では国内最大級の蒸気機関車C62が牽引を担当、ヘッドマークも付けられるようになった しかし特急列車に慣れ親しんだ人には「へいわ」より「つばめ」が良かったのだろう。 翌年には「つばめ」に改称される。晴れてつばめ復活だがこの時からひらがな表記の「つばめ」となっている。 また同じ年には僚友として特急「はと」が登場。シンボルともいえる一等展望車やリクライニングシート付きの特別二等車という豪華な車両を連結。 つばめの一等展望車 さらに「つばめガール」「はとガール」と呼ばれる女性の客室乗務員を配しれ車内サービスを行うという他の列車との差別化が図られた。 当時の有楽町のあたり この時東京~浜松が電化されていることから同区間は電気機関車、浜松~大阪は蒸気機関車が牽引することになったが、徐々に電化区間が拡大。 ▲EF58が牽引する「青大将」編成 1956年に東海道本線全線電化が完成し、全区間を電気機関車EF58が牽引することになった。 その際、外部塗装が「青大将」と呼ばれるライトグリーンに変更された。 このまま東海道の花形列車としてつき進むかと思われていたつばめだったが1958年を機会にその座が危ぶまれることになった。 この年に登場した国鉄発の特急型電車151系電車を用いた特急「こだま」の存在だ。 「こだま」は新製時より全車冷房車、リクライニングシートを採用。さらに東京~大阪を6時間半で結ぶ俊足ぶりを見せる。 客車これに比べてつばめは遅く、車内も古くて見劣りがするようになってきた。 そこで「つばめ」も「こだま」同様151系電車に切り替えることにした。 ▲今はなき東京駅の15番線にて 客車時代のつばめの最後部に連結されていた展望車を電車でも再現すべく、1号車(下り側先頭車)には大型窓を採用し側面展望を実現した車両「パーラーカー」が登場。 定員わずか18名と言う特別な車両で「こだま」と差別化を図ろうとしたが後に「こだま」と共通運用になり差がなくなった。 なお、一時つばめに吸収される形で消滅していた「はと」だったが「つばめ」同様の装備をもった特急として1961年に復活している。 1962年に山陽本線が広島まで電化され、「つばめ」は運転区間を広島まで延長し東京~広島の900km弱を走破する長距離特急となった。 大阪~広島のダイヤスジはそれまで走っていた特急「へいわ」から吸収。 「へいわ」はこれで2度も「つばめ」に仕事を奪われることとなった。 とは言ってもこの時の「つばめ」は増発が続き増えに増えた東海道特急の一列車に過ぎないポジションだった。 つばめは西へ ここからが本題と言えよう。 1964年の東海道新幹線開業により、東海道本線を走る列車は大幅に左遷・リストラされた。 ▲通称「セノハチ」と呼ばれる区間を補助機関車に押されてがんばるつばめ つばめも例外ではなく、僚友のはとと共に新大阪で新幹線と接続し九州を結ぶ特急という新しい仕事を与えられた。 その時のダイヤがこちら。 ▲今回から背景を入れてみた 下り列車はつばめが東京8 00発のひかり5号、はとが東京9 00発のひかり7号から接続。 上り列車ははとが新大阪17 00発のひかり22号に接続し東京21 00着、つばめが新大阪19 00発のひかり26号に接続し東京23 00着であった。 このつばめを走らせるにあたって、2つの問題があった。 一つが広島乗り入れ時から起きていた問題だが、広島の東側、八本松~瀬野間、通称「セノハチ」という存在。 正確には「大山峠」という場所だが、長い急こう配区間が存在する。 製造当初この区間を通ることを想定してなかった151系電車ではパワーが足りず、初代燕以来の補助機関車を連結してしのぐことになった。 ちなみに、今も貨物列車がこの区間を通る時は補助機関車を連結している。 もう一つの問題が九州内の電化方式が交流であったこと。 今までつばめが走っていた本州の電化は直流だったため、151系は直流専用の電車として造られた。 それゆえ交流電化の区間にそのまま乗り入れられず、下関で交直両用の電気機関車EF30に引っ張られて海を越え門司へ、門司で交流専用の電気機関車ED73に交換されて博多まで運転されていた。 電気機関車に引っ張られている間は自力で車内電源が確保できないので、サヤ420と言う電源車を連結してまかなっていた。 ▲交直両用481系電車による「はと」 この変則的な運転は翌年、第一回で述べた特急「雷鳥」「しらさぎ」で実績を得た、交直両用の481系電車を投入することで解決した。 この時、運転区間が名古屋~熊本と、つばめ史上最長の運転区間に延ばされている。 1972年に、山陽新幹線が岡山まで開通したことでつばめは岡山~博多・熊本に、はとは岡山~下関の運転に改められた。 それと同時に本数が増やされつばめとはとは同系統の特急「しおじ」と共にエル特急に指定される。 1973年には一部が西鹿児島(現・鹿児島中央)まで足を伸ばしている。 そして1975年に山陽新幹線が全線開通したことで、「つばめ」「はと」は廃止された。 この時代、すでにつばめは国鉄の主役から遠ざかっていたのであった。 そしてJR九州でよみがえるつばめ つばめの廃止から12年経った1987年、国鉄は分割・民営化されJRグループが発足した。 ▲旅立ちJR西日本号、テールマークもつばめを模している この時運転された記念団体列車「旅立ちJR西日本号」にはかつてつばめで使われていた一等展望車が連結されていた。 つばめが廃止されて12年が経っても、やはり国鉄と言えば「つばめ」という印象が強かったのかもしれない。 と、同時にこの車両で運転することは、つばめとの永遠の決別をも暗示していたのかという思惑を感じることもできた。 しかしそんなことはなかった。 ▲デビュー当初の783系電車 1988年、JR発足後最初の特急型電車として、JR九州が783系電車、通称ハイパーサルーンをデビューさせた。 この電車は博多~熊本・西鹿児島の特急「有明」に使用されることになったが、ほどなくして博多~西鹿児島の列車を別の名前にして独立させた。 ▲デビュー当初の787系電車 それが、1992年に登場した特急「つばめ」であった。 写真の787系電車はつばめ型電車と言われるほど、「つばめ」のために造られた電車だった。 食堂車はないが久々にビュフェ車を備え、「つばめレディ」という女性客室乗務員がサービスを行う。 まさに現代版のつばめと呼ぶにふさわしかった。 なお、つばめ設定当初は787系の数が少なく、783系も多く投入された。 783系に乗務する客室乗務員は「ハイパーレディ」と呼ばれていた。 こうして順調に新たに九州の顔となっていったJRのつばめ。 1993年には夜行の「ドリームつばめ」も登場した。 しかし、進化はとどまることを知らなかった。 ▲博多駅にて 2004年、九州新幹線の新八代~鹿児島中央が暫定開業。 つばめの名は九州新幹線の列車に使用されることになった。 博多~新八代は787系を使用した「リレーつばめ」が運転されたが、ビュフェ車は廃止。 代わりにDXグリーン車が新たに用意された。 新幹線の名前になったことで、九州新幹線全線開通の暁にはつばめは再び東京に顔を出すのではないかと期待が寄せられていた。 しかし、実際に山陽新幹線乗り入れを果たしたのはかつての寝台特急の名前である「さくら」と「みずほ」であった。 そればかりか、日中は運転区間が博多~熊本の各駅停車タイプに限定されてしまった。 (朝晩とか、一部は鹿児島中央まで走っているが本数的には小数派) つばめにしてみればさくらはかつて格下の特急だったので下剋上という感が否めなかった。 (さらに言えば、みずほもさくらより格下の寝台特急だったのでこれも下剋上感があった) こうして今は、博多で「のぞみ」や「ひかり」と接続し、遠くから来たお客様を運んでいる。 2012年3月17日ダイヤ改正では「つばめ」にも動きがある。 一部列車が山陽新幹線に乗り入れ、小倉・新下関まで運転されるというものである。 わずか1・2区間の延長ではあるが、新下関行きが出来たことで定期列車の「つばめ」は実に37年ぶりに本州に乗り入れることになる。 2012年2月25日
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新幹線の開業でそれぞれ新しい人生を歩み始めた東海道本線の特急たち。その中で最も劇的な運命をたどったのが今回取り上げる列車である。すでに愛称が消滅しており、馴染みのないマイナーな列車だがそれゆえのエピソードがあったりするのだ。 その列車は名古屋のために生まれた 1958年、国鉄初の電車特急「こだま」が2往復デビューし、1960年には特急「つばめ」2往復が電車化され、東海道の特急は徐々に充実してきた。 戦前、超特急「燕」がそうだったように特急は最もメインである東京~大阪・神戸という区間を意識して設定・増発していた。増発する際、どこが重要かを考えれば当然な話である。 しかし実際、途中停車駅の一つである名古屋での利用客も多かった。 東京~名古屋では準急「東海」をはじめとする準急列車が数往復設定されていたが、速さと快適さから特急を選ぶ人は少なくなかったのである。 その上、特急のさらなる増発が求められていたことから、国鉄は1961年10月にダイヤ改正(通称「サン・ロク・トオ」)を実施し、東海道線にはそれまでのほぼ倍にあたる、7往復の特急を設定した。 その中に1往復、東京~名古屋に新しく設定された列車があった。 その列車こそが特急「おおとり」である。 「おおとり」は東京と名古屋の間を4時間15分で結んだ。 もっと言えば朝7時45分に名古屋を発車し、12時ちょうどに東京に到着。 そして東京を18時ちょうどに発車し、名古屋に22時15分に着く。 東京での滞在時間はジャスト6時間と日帰り出張するのにも十分なダイヤ設定であった。 編成は他の電車特急「こだま」「つばめ」「はと」「富士」と共通で151系電車の11両編成。 そのためつばめと同様、1号車には1等特別車「パーラーカー」が連結されていた。 3年働いた線に別れを告げ北海道第2の特急へ こうしてサン・ロク・トオ以降、東海道特急の全盛期の一員として活躍していた「おおとり」であるが、早くも転機が訪れる。 そう1964年10月。東海道新幹線が開業したのだ。それに伴い東海道線の昼間の特急は廃止。 「こだま」はその新幹線列車に召し上げられ、「富士」は夜行の寝台特急として(第2回参照)、「つばめ」と「はと」は新幹線と接続して九州へ向かう特急へ(第4回参照)それぞれ転属となった。 転属とは言っても「富士」は時間が夜に変わっただけで東海道を走っているし、「つばめ」と「はと」も大阪~神戸と短いながらもまだ東海道線の走行区間が残っていた。 だが「おおとり」だけは違った。 この改正で東北本線上野~青森に初めての寝台特急「はくつる」が登場したが、青森~函館で青函連絡船を介し、函館から札幌・網走・釧路へ結ぶ特急が新設され、これに「おおとり」と名付けたのである。 こうして「おおとり」はわずか3年で東海道を去り、北の大地にやってきたのだった。 ちなみにサン・ロク・トオでは北海道で初めての特急「おおぞら」がデビューしており、「おおとり」は北海道で2番目の特急となった。 その時のダイヤがこちら 函館~札幌は室蘭本線・千歳線を経由。今の特急「北斗」などと同じである。なので札幌で進行方向が変わる。網走行きはさらに遠軽でも方向が変わっている。 下りは上野18 30分発青森6 10着の寝台特急「はくつる」、そして青函航路3便から接続しており、上りは青函航路4便、そして青森22 40発の「はくつる」に接続し、上野に朝10 20に到着するダイヤが組まれている。 列車は特急型気動車のパイオニア、キハ80系12両編成で運転。(というか当時これしか特急型気動車がない。) 網走行きと釧路行きがあるが両者は滝川で分割・併合。列車番号からして網走行きの方が基本編成になるはずだが網走行き5両、釧路行き7両と、釧 路行きの方が多い。 しかも食堂車は釧路行きの方に連結されていた。 札幌を跨いで運転する最後の特急に 「おおとり」が北海道に移籍した翌年1965年には函館~旭川を室蘭本線経由で結ぶ北海道第3の特急「北斗」が、1967年には函館~旭川を倶知安・小樽経由で結ぶ北海道第4の特急「北海」が登場し、徐々に北海道にも特急が増えてきた。 その中で「おおとり」はしばらくは特に変化もなく安定した毎日を送っていたが、1970年に輸送力増強のため釧路行き編成を「おおぞら2・1号」として分離・編入した。これによって「おおとり」は函館~網走の単独運転となったのである。 ただしこの時、分離によって網走行きの輸送力が増強されたわけでもなく、6両と短い編成で10時間以上走るにも関わらず食堂車もなかった。 1972年、「おおとり」に待望の食堂車が連結され7両編成になった。 この時、本州では今まで気動車で運転されていた特急「白鳥」「いなほ」「ひたち」が電車化されることになり、そのあおりで要らない子になった80系気動車を北海道に転属させる。 これらの車両を使用して札幌~網走に新たに特急を1往復新設した。これが特急「オホーツク」である。 「オホーツク」の登場で札幌~網走の特急は「おおとり」と「オホーツク」との2往復体制となったのだが、1981年と1985年にそれぞれ急行「大雪」1往復ずつ特急に格上げされ「オホーツク」に編入された。 これによって「おおとり」1往復に対し、「オホーツク」3往復と、「おおとり」は徐々に肩身が狭くなってきた。 しかも1979年に北海道向けの新型特急気動車であるキハ183系がデビューし、今までキハ80系で走っていた特急を次々と置き換えて行く中、「おおとり」だけは置き換えられずキハ80系で淡々と走っていた。 「おおとり」は北海道の特急の中で一番最後、国鉄分割民営化間近の1986年11月でようやくキハ183系に置き換えられたのだった。 キハ183には食堂車が付いてなかったため、この「おおとり」は北海道最後のキハ80系使用列車であると共に北海道最後の食堂車付きの列車でもあったのだ。 (※厳密に言えば、寝台特急「北斗星」など食堂車連結は今でも存在するが道内のみ、または昼行だと「おおとり」が最後だと言える。またキハ80系全体の最後の運用は名古屋~紀伊勝浦の特急「南紀」である。) 国鉄が分割・民営化され、JRとなっても「おおとり」は相変わらず函館~網走の長距離で運転されていた。 他の特急は既に札幌を境に系統が整理されており、札幌を跨いで運用される特急はもはや「おおとり」だけとなっていた。 だが、この貴重な存在が運用における不合理さを生み出していたのは間違いなかった。 民営化翌年である1988年3月。 JR化後初の全国ダイヤ改正によって函館~札幌を「北斗」に、札幌~網走を「オホーツク」に任せて「おおとり」はその名前が消滅した。 東海道ではたった3年だったのに対して北海道では8倍の24年に渡る活躍であった。 歴史は繰り返す。 米原で新幹線から接続し、北陸の金沢まで最速で結んでいた特急「きらめき」が今は九州の博多~小倉・門司港を結ぶライナー特急として走っている。 かつて東京対九州の名門ブルートレインで名を馳せた寝台特急「はやぶさ」が今は東北新幹線の最速達列車に君臨している。 このように、一度廃止された列車の愛称が全く異なったところで復活するケースは鉄道史のなかにいくらかある。 しかし「おおとり」ほどあまりメジャーでないのに極端なのはあまり思い当たらない。 2012年10月13日
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こんにちは。ちぃは黒ちぃというちぃ。 簡単にちぃがどういう人間かというと 小学生のころから人一倍ドラえもんが大好きで、うる星やつらにもはまっており、 その一方で科学クラブとか入ったりパソコンショップに通ったりして理科に関心があり、 本はSFを図書館で熱心に読んでたり、映画ではやはりSFを好んでいたちぃ。 ただ美術と国語と社会とただ走る以外の運動が苦手だったので、 そのころから趣味がアニメ視聴で実益が理科によってしようと思ってて、 その態度は今も変わらないちぃ。 (でもときおり物語の夢を見てはよい話だったな、書けば良いかもと思うってのは、話作りに興味があるのかも) んで画像ですが、ちょびっツの白ちぃと黒ちぃのぬいぐるみ。 そういう画像を載せるだけちょびっツにはまってるちぃ。(ペットの写真を載せるのに似た禁戒かも)
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第二回「夜を駆ける蒼い流れ星、再デビューした特急」 東海道新幹線の開業は東海道本線・山陽本線の昼間のダイヤを大きく変えた。特に東海道本線を走る昼間の特急が全てリストラされたことが当時の時代の転換を象徴していると言える。 一方、夜を駆け抜ける寝台特急列車は「蒼い流れ星」とも呼ばれるブルートレインの人気が絶賛上昇中であった。 新幹線が出来たと言っても大阪までだったので、九州へ行く人にとってはまだまだ夜行の方が有利だったのである。 そんなわけで1・2列車さくら、3・4列車みずほ、5・6列車あさかぜ、7・8列車はやぶさに続いて、5番目の蒼い星が流れ出したのだった。その列車は9・10列車と番号がふられ、この愛称が付けられた。 富士 と。 富士の名は元々戦前、最初の特急列車の愛称として登場し、近年「はやぶさ」と共に最後の九州ブルートレインとして残り、2009年3月14日に廃止されたということで有名であるが、この寝台特急の新しい人生の始まりはまさにこの時である。 その時のダイヤがこちら 富士の編成は電源車1両と14両の客車の15両編成で、1号車と8号車に1等寝台車(今のA寝台車)、2号車に食堂車、7号車に2等座席車(今の普通車)、その他が2等寝台車(今のB寝台車)という内容。8号車から14号車は東京~下関でのみ連結される付属編成だった。 この編成内容「みずほ」と同様である。 当時は1等寝台車の中でもA,B,Cと三種類のグレードが存在し、みずほと富士はBのみが存在。さくらとはやぶさはAとBの2グレード構成とやや格が高め。 あさかぜもAとBだが、1等寝台車自体が6両もあり、ブルートレインの中でもフラッグシップ的な存在だった。 これで見ると富士はみずほと共に格下の感があった。 他の寝台特急が全て博多を通り、九州の西側や南側を結んでいるのに対して、富士は日豊本線を通り九州の東側の輸送を担う列車となった。 その後年を経て宮崎や西鹿児島まで運転される時代もあり、富士は廃止の日まで日豊本線を代表する寝台特急として存在し続けるのであった。 ところでこの富士、寝台特急として再デビューを図る前に2度の人生を送っている。 1度目は先にも述べたが、最初の特別急行列車。走り始めたのは明治45年(1912年)だがこの時はまだ愛称と言うものがなかった。 実際に愛称が付いたのは昭和4年(1929年)と世界恐慌の煽りをうけ、日本も大不況の真っただ中という頃。 どうにか世の中を明るくできないかと考えていた鉄道省(JRの前身の国鉄の前身)は東京~下関を結ぶ2本の特急に一般公募によって愛称をつけることを思いつく。 そして数ある応募の中から見事1位に輝いたのが「富士」であり、2本のうちの片方に付けられた。 ちなみにもう1本の特急には3位の「櫻」という愛称が付けられた。2位には「燕」が入っていたが、これは後に東京~大阪・神戸を当時としては恐るべきスピードで駆け抜けた特急の名前になる。 そういうことで各特急の最後尾にはその列車の愛称が書かれたテールマークが取り付けられ華々しく東海道を駆け抜けたが、そのうち戦争が始まると鉄道は徐々に軍需輸送に特化されていく。 1942年には関門海峡トンネルが開通し、九州は長崎まで運転区間が伸びたものの翌年 には「特急」というものがなくなってしまい、富士は第一種急行という種別に変更されてしまう。そして戦争が激化した1944年に廃止となった。命名から15年で消えるという運命にさらされたのだった。 戦争が終わり16年が経った昭和36年(1961年)10月、全国で大規模なダイヤ改正が行われた。ファンの間ではサンロクトオと呼ばれている。 この改正は7月に「もはや戦後ではない」と経済白書が歴史的名フレーズを残した通り、戦後からの復興が終息し、次の高度経済成長を見据えたものだった。 事実この頃から列車の混雑は増す一方、大幅な列車の増発が必要だった。 そんな状況から実に13本の特急が登場したのだが、その中に「富士」の姿があった。今度は電車の特急として東海道本線の降臨。1日2往復が設定され、1往復は東京~神戸だが1往復は東京~宇野で運転。当時の宇野は宇高連絡船を介し当時の宇野は宇高連絡船を介し四国の高松に連絡するための重要拠点。富士は四国連絡の役目も担い、つばめ・はと・こだま・おおとりと言った名だたる特急達と共に東海道を疾走したのだ。 しかし新幹線建設はすでにこの頃より前から既に始まっていた。電車特急として再デビューしたと同時に余命宣告をされた瞬間でもあった。 結局、富士が電車特急として君臨したのはわずかに3年。新幹線の開業に伴い特急達はそれぞれ転勤を命ぜられる。こだまは新幹線へ。つばめ・はとは山陽本線へ。おおとりは北海道へと大異動しているがそれはまた別の話。 その頃、寝台特急みずほは熊本行きと大分行きの2つの行き先を持っていた。だが門司で大分行きを切り離すと7両編成。少なくとも博多まではフル編成が欲しかったし、さらに増える需要を考えると大分行き編成を独立させてもう1本寝台特急を仕立てるべきと考えた。 そんな背景から東京~大分の新しい寝台特急の任は職にあぶれかけてる富士に託されることになった。特急として3度目の門出となった富士は1度目は15年、2度目は3年の命だったのに対し、実に45年もの間走り続けることになるという安定感を世に見せつけた。 西鹿児島行きの時は1574.2kmを24時間かけて走りぬく定期最長距離列車ともなった。 こうして富士はブルートレインの衰退によって一つまた一つと消えゆく僚友を見送りながら最後まで残り続け、東京対九州ブルートレイン終焉を自らの幕引きで飾ったのであった。 ところで本州と九州を結ぶ寝台特急は消えても寝台特急が消えたわけではない。東京からは高松行きと出雲市行きの電車寝台特急、サンライズ瀬戸・出雲が出ているし、豪華寝台特急、カシオペアと、トワイライトエクスプレスは健在だ。また今なおブルートレインで東北・北海道方面へ向かう、あけぼのや、北斗星は当分安泰のようだ。 さらにJR九州によると九州を1周する豪華寝台特急を計画中だと発表している。昔とは寝台特急を使う動機が変わってきてはいるが、まだまだ可能性がなくなったわけはない。 今後の寝台特急の動向にも注目である。 2012年1月22日
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